冒険者の礎「植村直己」年表

冒険者の礎「植村直己」年表

2019.04.03

どうも。当サイトを運営している「みっしー」です。

植村直己さんの大ファンで、著書を読みながら年表まで作ってしまいました。

今回はその年表を書き留めました。

興味のある方はご覧ください。

【植村直己さんの著書の書評はこちら】

第1回「くじけそうな時に読んでほしい!「青春を山に賭けて」書評」

第2回「エベレストに命をかける!「エベレストを越えて」書評」

第3回「エスキモーと日本人はそっくり!?「極北に駆ける」書評」

第4回「氷の大地に置き去り……「北極圏1万2000キロ」書評」

第5回「氷との戦い!「北極点グリーンランド単独行」

第6回「最後の著書「植村直己 妻への手紙」」

年表

1941年2月12日 兵庫県に生まれる。

1960年 明治大学農学部に入学。山岳部へ入部。

1964年 明治大学卒業。

1964年5月2日 移民船「あるぜんちな丸」に乗ってアメリカ合衆国へ。

1964年10月末 モンブラン単独登頂を試みるが断念。

1965年4月 未踏峰「ゴジュバ・カン」(7646m)に初登頂。

1966年 「モンブラン」(4807m)登頂

1966年7月25日 「マッターホルン」(4478m)登頂

1966年10月 「ケニア山」(5199m)登頂

1966年「キリマンジャロ」(5895m)登頂

1968年1月 アンデス山脈「エル・プラタ」(6503m)登頂

1968年2月5日 「アコンカグア」(6960m)登頂

1968年2月15日 無名峰(5700m)に初登頂し、「明治峰」(ピッコ・デ・メイジ)と命名。

1968年6月 アマゾン川6000kmをイカダで下る。

1968年9月14日 アラスカの「サンフォード」(4940m)登頂

1968年 「マッキンリー(デナリ)」の単独登頂を試みるも、許可が下りず断念。

1968年10月1日 日本へ帰国

1969年4月23日~6月21日 日本山岳会の第1次エベレスト偵察隊に抜擢され、ネパールへ。

1969年8月20日~11月25日 日本山岳会の第2次エベレスト偵察隊として、再びネパールへ。

1970年5月11日 世界最高峰エベレスト(8848m)に日本人として初登頂(日本山岳会エベレスト登山隊)

1970年8月26日 「マッキンリー(デナリ)」登頂(6191m)。世界初の5大陸最高峰登頂者となる。

1971年1月1日 「グランド・ジョラス北壁」登攀成功

1971年2月28日~5月24日 国際エベレスト登山隊に入隊。登頂失敗。

1971年8月30日~10月20日 52日間で日本列島3000kmを縦断

1972年9月~1973年6月 グリーンランド最北の村「シオラパルク」でエスキモーたちと暮らす。シオラパルク~ウパナビック往復の3000kmを犬ぞりで単独行達成。

1974年3月 ヒマラヤ、ダウラギリ峰偵察隊に参加(明治大学山岳部と、OBの炉辺会)

1974年5月18日 野崎公子さんと結婚

1974年11月22日 グリーンランドへ出発

1974年12月29日 北極圏1万2000km犬ぞり単独行開始

1975年6月13日~12月14日 カナダ西部「アンダーソンベイ」で越夏

1976年5月8日 アラスカ「コツビュー」に到達。北極圏1万2000km犬ぞり単独行達成。

1978年4月29日 北極点へ犬ぞり単独行達成(世界初)

1978年8月22日 グリーンランド3000km縦断犬ぞり単独行達成(世界初)

1979年12月 日本冬期エベレスト登山隊の計画のため、ヒマラヤを偵察(2か月間)

1980年10月30日~1981年2月14日 日本冬期エベレスト登山隊に入隊。登頂失敗。

1982年 南極大陸の単独横断を計画するが「フォークランド紛争」のため断念

1983年 ミネソタ州の野外学校にアシスタントインストラクターとして参加

1984年2月 冬期マッキンリー(デナリ)単独登頂(世界初)。単独登頂成功の無線通信を最後に消息を絶つ。

同年に国民栄誉賞受賞。

デンマーク政府がグリーンランド南端の山「ヌナタック峰」を「植村峰」と命名。

植村直己の5大陸最高峰記録(時系列順)

①モンブラン

②キリマンジャロ

③アコンカグア

④エベレスト

⑤マッキンリー(デナリ)

7大陸最高峰

①アジア→エベレスト(8848m)

②ロシア→エルブス(5642m)

②ヨーロッパ(ロシアを除く)→モンブラン(4808m)

③アフリカ→キリマンジャロ(5895m)

④北アメリカ→マッキンリー(デナリ)(6191m)

⑤南アメリカ→アコンカグア(6960m)

⑥オーストラリア→コジウスコ(2230m)

⑦南極大陸→ヴィンソン・マシフ(5140m)

あとがき

年表内の冒険は、ほとんど著書に記されています。

1941年~1970年の青春時代と、5大陸最高峰登頂者になるまで

1969年~1971年の日本山岳会エベレスト登山隊や、国際エベレスト登山隊によるエベレスト挑戦。グランドジョラス北壁挑戦。

1972年~1973年。グリーンランド最北の村「シオラパルク」でエスキモーたちと暮らす。シオラパルク~ウパナビック往復の3000kmを犬ぞりで単独行。

1974年~1976年の北極圏1万2000km犬ぞり単独行

1978年の北極点へ犬ぞり単独行と、グリーンランド3000km縦断犬ぞり単独行

それぞれの冒険中に植村直己さんが妻に送った手紙をまとめた著書。

1980年~1982年の間は不運が続きます。

日本冬期エベレスト登山隊での挑戦は失敗に終わりますし、夢だった「南極大陸横断」は国際情勢の影響で断念。

1984年の冬期マッキンリー(デナリ)への挑戦はなにがなんでも成功させたかったと思います。

それで無理をしてしまったのかもしれません。

消息不明になる1984年の出来事は本の著者紹介で知ったことであり、詳細は分かりません。

もちろんインターネットで当時の状況を色々と調べましたが、その情報は本当なのか分からないので、ここには載せませんでした。

生きていてほしかった。本当にそう思います。

ちなみに私が一番最初に読んだ植村さんの著書はこちらです。

「極北に駆ける」で植村さんの大ファンになり、その後ほかの著書を読み漁りました。

おすすめの順番としては

「極北に駆ける」

「北極圏1万2000キロ」

「北極点グリーンランド単独行」

「青春を山に賭けて」

「エベレストを越えて」

「植村直己 妻への手紙」

です。

この順番で読むと

北極編→青春編→エベレスト編→手紙編

という流れで進みます。

北極編では氷雪の世界と犬ぞりを存分に味わいます。

青春編では植村さんの人生を遡ると共に、壮絶な登山を追体験します。

エベレスト編ではチームによるエベレスト登山の詳細を知ることができます。

手紙編では冒険中の植村さんの内面を垣間見ることができます。

冒険に人生を捧げた植村直己さん。

著書の内容は万人が楽しめるものではありませんが、冒険が好きな方にはぜひ読んでほしいです。